小出監督といえば、1992年バルセロナオリンピックで銀メダル1996年アトランタで銅メダルを獲得した有森裕子さんや、
ベルリンマラソンで当時の女子世界最高記録を出し2000年のシドニー五輪で金メダルを獲得した高橋尚子さんなどを、見出して指導した名指導者です!!
指導者として有名な小出監督ですが、実は夢であった箱根駅伝を走るために回り道をしているかなりの苦労人なのです!!
小出義雄さんの意外な経歴に出身高校や大学、箱根駅伝の成績と結婚・家族の事などを調べてみました。
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プロフィール(経歴)
小出 義雄(こいで よしお)
生年月日 1939年04月15日
没年月日 2019年04月24日(80歳没)
出身地 千葉県佐倉市
小出さんが生まれたのは1939年の千葉県佐倉市、第2次世界大戦が始まった年です。
小出さん子供の頃から走るのが好きで、成績は良くなかったけどかけっこだけは誰にも負けなかった。
小出さん陸上の有力校から何校もスカウトを受け千葉県立山武農業に進学。
小出さんが三年生の時には主将を務め県大会で優勝して全国高校駅伝に出場し3区を走り区間35位でした。今はなくなってしまった青森東京間駅伝の千葉県代表にも選ばれています。
小出さん家は農家で長男、家を継がせるために農業高校への進学を認め本人も農家を継ぐつもりだったようですが、走る楽しさを箱根駅伝という存在を知ってしまったために、大学に行き箱根駅伝を走りたいと思うようになってしまい・・・
小出さん何度もお父さんに頼んのだそうです、大学に行きたい箱根を走りたいと、言ってもお父さんは許してくれずに、高校卒業後は祖父と父と一緒に畑を手伝っていました。畑の手伝いをしているときも、大学へ行きたい走りたいと頼み込みますが良い返事はもらえず・・・
高校時代のライバルたちの活躍を耳にするうちに居ても立っても居られなくなり、半年経ったある日小出さんは家出をします。
家出生活
東京に出て友人の家に転がり込み金がなくなるとアルバイトを転々とする生活をしていました、その間も仕事しながら昼休みや仕事が終わった後毎日走っていたそうです。
経験したアルバイトは石鹸会社、運送会社の荷物運び、電話会社の配線、ラーメン屋の出前など3年間で20以上の仕事。
2年ほどそんなことをして、最後は昭和高圧の駅伝部のある会社に、学生時代の恩師の紹介で入部。
小出さん凄いのは仕事が辛いと思ったことがないそうなんです、それはかけっこが出来たからで、かけっこができれば辛くない!!って走ることが大好きだったんですね。そこまで打ち込める事があるって羨ましいです。
出身大学は?
小出さんの出身大学は順天堂大学です。
頑張っていた小出さんに転機が訪れます、小出監督の箱根駅伝に出て走りたいという願いを人づてに聞きつけたのが、
当時の順天堂大学の帖佐寛章(ちょうさ ひろあき)監督で、当時の順天堂大学は強化に乗り出していて広く人材を探していて、小出さんに行き着いたとムック本に書いてありましたが。
小出さんインタビューでは、学生時代のライバルが順天堂大学の陸上部を紹介してくれ、受験したら受かったと言っています。
22歳で順天堂大学の新入生になりました、授業料は特別待遇で寮費は払えないので、特別に自宅からの通学が認められたそうです。
3年ぶりに帰って実家の反応が気になります、大事な一人息子が帰ってきたのですから、家族揃っての祝福ムードだったのでしょう?
小出さん念願だった箱根駅伝には1年生だった1962年の第38回大会から出場しています、1年目は山登りの5区を走り区間10位。
2年目は8区を走り区間3位の走りをし総合順位を5位に浮上させ、順天堂大学初めてのシード権獲得に貢献しました。3年目も8区を走り区間5位。
4年目は11月の青森東京間駅伝での故障の回復が間に合わずに出場できませんでした。最後の年に出れなかった事が悔しくて仕方なく、そのことで調整の大切さを思い知ったそうです。
4年目に調整不足で出場出来なかったことと、大学4年間でたった1日練習をしなかった日があり、それが後の指導に繋がることになります。
[ad#spomid]第38回大会1962年(昭和37年) 5区10位 1:36:06 順大10位
第39回大会1963年(昭和38年) 8区03位 1:10:17 順大05位
第40回大会1964年(昭和39年) 8区05位 1:05:57 順大05位
第41回大会1965年(昭和40年) 不出場 順大03位
教師時代から実業団監督時代
順天堂大学を卒業した後は千葉県で教職に付きました、23年間高校教師として陸上に関わっていきます。この就職にお父さんは大変喜んだそうです、教師は県外に転勤することもなく安定した職業だから。
最初に赴任したのは千葉県立長生高校、いきなりインターハイ出場選手を出しています、この頃の教え子が鈴木秀夫さん。
次に赴任したのは千葉県佐倉高校で78年79年と連続で全国高校駅伝に出場。
1985年に市立船橋を率いて3年目に全国大会4位となり、1986年には念願の初優勝を達成しています。
1988年に教師を辞めリクルート・ランニングクラブ監督に就任。
92年に有森裕子さんがバルセロナオリンピックで銀メダル、実業団女子駅伝を1993年1994年と連覇に導き。
1996年アトランタオリンピックで有森さんが銅メダル、1997年の世界選手権アテネ大会で鈴木博美さんが金メダルを獲得。
1997-2002年積水化学女子陸上部監督に就任
1998年のアジア大会で高橋尚子さんが当時の世界最高タイムを出し、シドニーオリンピックで金メダルを獲得
2002年佐倉アスリート倶楽部株式会社を設立し、代表取締役兼監督をしています。
2008年豊田自動織機チームを全日本実業団対抗女子駅伝で優勝に導き、2012年にはユニバーサルエンターテインメントチームが東日本実業団対抗女子駅伝で優勝しています。
現在はユニバーサルエンターテインメントと豊田自動織機所属の選手に指導育成を行っています。
2015年8月に、米国ボルダーの合宿中に不整脈から来る心疾患で倒れて緊急手術し、今でも心臓にペースメーカーを入れています。
小出監督が育てた主な選手
有森裕子 (バルセロナ五輪女子マラソン銀メダリスト、アトランタ五輪女子マラソン銅メダリスト)
五十嵐美紀 (バルセロナ五輪10000m代表)
吉田直美 (世界陸上シュトゥットガルト大会10000m代表)
志水見千子 (アトランタ五輪5000m4位入賞)
鈴木博美 (世界陸上アテネ大会女子マラソン優勝・金メダリスト)
高橋尚子 (シドニー五輪女子マラソン優勝・金メダリスト)
千葉真子 (世界陸上パリ大会女子マラソン銅メダリスト)
宮井仁美 (世界陸上ヘルシンキ大会女子10000m代表)
新谷仁美 (世界陸上モスクワ大会女子10000m 5位、東京マラソン2007女子の部優勝)
堀江知佳 (2002年北海道マラソン女子の部優勝)
日本マラソン界のレジェンドが揃っています、有森さんにしても高橋さんにしても才能がないと思われていた選手を育てオリンピックでメダルを獲らせるのですから凄いです!!
小出監督が佐倉高校の勤務時代に、中学3年生の増田明美さんをスカウトに行ったそうですが、一週間遅れですでに私立成田高校の名監督滝田詔生さんがスカウトしてしまっていたそうです。
もし小出監督が増田明美さんを見ていたらどうなったのでしょうか?
結婚や家族は?
小出さんが長生高校陸上部時代の教え子の啓子さんと1971年に結婚し、啓子さんとの間に3人の娘さんをもうけています。
小出さんが「世界に通用するランナーを育ててみたい」と教師を辞めたいと言った時も、あと2年勤めたら年金も保証されることになるという状態でも啓子さんは反対することもなく、「あら、そう。また夢の続き、頑張らなくちゃね。」と言って、背中を押してくれたそうです。
凄い理解のある奥さんですね、成功する方の奥様ってこういう方が多いですよね。
次女・小出正子(こいでまさこ 現高橋正子)さんは、元積水化学陸上部のランナーで、現在は、引退し佐倉アスリート倶楽部のスタッフとして後進の指導をしています。
正子さんが結婚したお相手は元富士通陸上部のエースで東京国際マラソンの優勝経験もある、高橋健一さん。
長女さんと三女さんの事はわかりませんでした。
まとめ
高校は山武農業
高校卒業後は半年家業の農家を手伝うが家でし東京へ
東京では3年間で20以上の仕事をしながら、毎日走り続ける
色々な縁から22歳の時に順天堂大学に入学
箱根駅伝を1年から3年連続走るが4年生の時は怪我で不出場
大学卒業後は千葉県23年間高校教師として長生高校・佐倉高校・市立船橋で指導
1988年に教師を辞め実業団チームの監督に、有森裕子さんや高橋尚子さんなどを育てる
2002年に佐倉アスリート倶楽部を設立
1971年に長生高校で教え子だった啓子さんと結婚し、3人の娘がいる
未だに衰えない選手指導への情熱凄いことだと思います、低迷している日本の女子マラソン界にに新風を巻き起こす選手を育て上げて欲しいです!!
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