大八木弘明監督(駒沢大)の経歴と苦学生だった過去!箱根駅伝の成績を調べた!

毎年10月~1月は駅伝の季節ですよね、出雲駅伝に始まり箱根駅伝で終わる!?この時期は大学・高校・都道府県対抗など駅伝が多いです。

今回は駒沢大学を大学駅伝の強豪校に育て強さを維持をさせている、駒沢大学陸上競技部監督の大八木弘明さんを取り上げます。

大八木さんかなり遠回りして大学に入り箱根駅伝を走っています、そんな大八木弘明さんの経歴や苦学生だった時のことや、選手時代監督時代の箱根駅伝の成績を調べてみました。

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プロフィール(経歴)

大八木 弘明(おおやぎ ひろあき)
生年月日 1958年07月30日(58歳)
出身地 福島県河沼郡河東町(現・福島県会津若松市河東町)

福島県立会津高田一中学校
福島県立会津工業高等学校
小森印刷(現・小森コーポレーション)
駒澤大学経済学部2部(夜間部)
ヤクルト
駒沢大学

大八木さん中学生の頃に陸上競技を始めてすぐに頭角を現し、会津高田一中学校3年の時に全国大会の3000mで5位に入っています。

会津工業高校に進学、高校生になったらインターハイで活躍して大学で箱根駅伝を走りたいと思っていたのですが、高校1年の時に足を疲労骨折し、その後1年間はあまり走れず治ってからも中学時代のような成績を残せませんでした。

高校3年間を通じて大八木さんは活躍できなかったので、勧誘してくれる大学などなかったそうです。

そんな大八木さんですが、陸上部の顧問の先生の紹介で小森印刷(現・小森コーポレーション)の陸上部に入部。

小森印刷では大八木さん高校時代の鬱憤を晴らすかのように、順調に力をつけていきます。

当時伊勢で開催されていた全日本実業団駅伝で入社4年目にエースがが集まる区間を任されるほどに成長、この時に旭化成の宗猛さんと競り合いを演じたことで、自分に力がついてきたことを知り中学の頃から抱いていた夢箱根駅伝を走るという夢を叶えようと思ったようです。

苦学生時代

夢をかなえるために4年勤めた小森印刷を退職し、大学進学の準備をしつつ川崎市役所に就職。

市立小学校の事務の仕事をしながら、箱根駅伝を目指せる大学を探していたいました、条件は仕事をしながら競技が続けられる二部のある大学。

すぐ次の就職先が見つかるなんて大八木さんかなり優秀だったのでしょうね、今の時代と公務員の認識が違うと思いますが羨ましいです。

公務員時代は休み時間や朝夕を黙々と走り、東日本縦断駅伝で神奈川県チームのエースとして出場、仕事をして勉強して一人で練習しての生活を2年間続けて、職場から近かった駒澤大学に1983年に入学しています。

浪人時代の生活も厳しかったのですが、大学に入ってからの生活は更に厳しかったようです。

朝7時に起床し朝練はなし、8時30分から仕事、昼休みに8km走り午後も仕事をして、16時30分に仕事を終えて夕方のトレーニング、大学に6時から6時半に行き21時半まで授業を受けて、食事して帰って選択などをしていると0時をまわっているような分刻みの生活をしていました。

普段は陸上部の練習に参加する時間などなく、陸上部のメンバーと走るのは土曜日と合宿の時だけで、一人での練習内容は完全に任されていたそうです。

大八木さんご本人が「よく4年間続けられたと思う、もう一度やれと言われてもとてもできないと」「箱根駅伝を走りたいという熱い思いがあったから耐えられた」と言っていました。

いくら熱い思いがあっても私にはこんな生活できないですし、ほとんどの方が脱落するでしょう、それを4年間やりとげたとのですから、大八木さん物凄いタフな精神力を持っていたのでしょうね。

サボりたくなったりとか心が折れそうになったこと無いのか聞いてみたいです。

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箱根駅伝

大八木さんが念願の箱根駅伝を走ったのは1984年の第60回大会です、山登りの5区を任され区間賞を獲っています。

大学2年生の時は花の2区を走り区間5位、この時貧血になっていて良い時の走りをできなくなっていたそうです、ベストな体調でなくても区間5位は流石です。

大学3年生になってからはチーム練習のメニューも大八木さんがつくるようになっていて、監督から信頼されプレーイングコーチのような役割をしていました。

仕事・大学・陸上をしつつ練習メニューも作るようになっていたとは、休む暇なんてあったのでしょうか?化物過ぎます!!

第62回大会で花の2区を走り区間賞を獲り去年のリベンジを果たして、駒沢大学の往路2位総合4位という、過去最高の成績に貢献。

63回大会では年齢制限のために出場できず、エースの出場しなかった駒沢大学は12位になっています。

28歳で大学を卒業した大八木さん、実業団チームのヤクルトに入社、30代になってからはコーチ兼任になり、最終的には中距離ブロックのコーチに。

1995年大八木さんが36歳の時に駒沢大学のコーチに就任、2002年助監督に、2004年に監督に就任しています。

箱根駅伝の成績

選手時代
第60回大会1984年(昭和59年) 5区01位 1.12.41 駒澤12位 区間賞
第61回大会1985年(昭和60年) 2区05位 1.11.43 駒澤11位
第62回大会1986年(昭和61年) 2区01位 1.10.00 駒澤04位 区間賞
第63回大会1987年(昭和62年) 年齢制限で不出場 駒澤12位

書いていて気づいたのですが、高橋尚子さんを育てた小出義雄監督・東洋大学監督の酒井俊幸さんと大八木弘明さんの現役時代箱根駅伝を走った時の共通点を見つけました。

それは3人とも箱根駅伝で4年生の時走っていないのです、小出さんと酒井さんは怪我のせいで大八木さんは年齢制限のせいですので同じとは言えませんが。

指導者として

箱根駅伝総合優勝6回、全日本大学駅伝優勝12回、出雲駅伝優勝3回(2016年1月時点)

選手時代も凄いのですが、大八木さんが駒沢大学の指導者になってからの実績も凄いです。名選手=名指導者ではないとよく言われますが、それは大八木さんには当てはまりあませんでした。

駒沢大学を強豪に育て上げたました、大八木監督が凄いのは強豪をずっと維持していることだと思います、強いことをずっと維持するということは物凄い大変なことですそれをやっているのですから凄すぎです!!

まとめ

中学は福島県立会津高田一中学校、高校は福島県立会津工業高等学校

大学に進学せずに森印刷(現・小森コーポレーション)に4年間在籍

公務員の仕事をしながら駒澤大学経済学部大学2部に進む

1年生5区01位 2年生2区05位 3年生2区01位 4年生年齢制限で出場できず

卒業後は実業団チームヤクルトに入団

1995年駒沢大学のコーチに就任 2002年助監督に 2004年監督に就任

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