駒澤大学陸上競技部のコーチをしている、藤田敦史さんと言えば箱根駅伝やマラソンで輝かしい実績を持つ方です。
現役引退後に駒沢大学の大八木監督が声をかけたことでコーチに就任しました、大八木監督の狙い通り藤田さんは学生たちにアドバイスをしたりして、良き兄貴的存在になっています。
箱根駅伝の特別番組では、怪我明けで思うように走れないエース中谷さんに声をかけているシーンが流れていました。自分も故障を経験していたからこそ的確な声掛けができたのでしょう。
駒沢大学コーチの藤田敦史(ふじたあつし)の出身中学と高校、妹さんのことや結婚しているかなどを調べてみました。
プロフィール(経歴)
藤田 敦史(ふじた あつし)
生年月日 1976年11月06日(46歳)
出身地 福島県白河市(旧西白河郡東村)
身長 166cm
体重 52kg自己ベスト
5000m 13分54秒65 (2008年)
10000m 28分19秒09 (2000年)
ハーフ 1時間02分12秒 (2004年)
マラソン 2時間06分51秒 (2000年)
出身中学と高校は?
出身中学は東村立東中学校で、テニス部に入っていました。
藤田さん小学校の頃から体育ダメダメで、走ることも好きでなく足も早くなかったそうですが。
中学2年の時に校内マラソン大会で3位になり、その後出場した駅伝大会で区間賞を獲ったことで、藤田さん陸上競技の楽しさに目覚めハマっていきました。
高校は陸上の強い福島県立清陵情報高等学校を選び進学します
藤田さん高校時代は全国高校駅伝やインターハイにも出ていません、高2の時に全国高校駅伝福島県予選の1区で区間賞をとって以来、ずっと低調な走りで大学に入る頃には自信がなくなっていたそうです。
全国男子駅伝
1996年全国都道府県対抗駅伝 7区05位 42:34 福島05位
1997年全国都道府県対抗駅伝 3区07位 26:15 福島03位
駒沢大学経営学部へ
藤田さん駒澤大学に入学した当初ははいつ退部させられるかと、本気で考えるくらい試合でも練習でもダメな選手で、箱根駅伝を走るのは無理だと思っていました。
そんな藤田さんを救ったのは当時コーチに就任したばかりの大八木監督でした、
藤田さんの不調の原因は貧血ではないかと見抜き、「貧血だから病院に行ってみろ」と声をかけ、血液検査を受けたらヘモグロビン値が異常に低いことがわかり、高校からの不調の原因が貧血のせいだとわかったのでした。
この時の事を藤田さんは「魔法にかけられた感じだった。この人は凄いと思った」と語っています。食事などに気をつけて3ヵ月治療に専念したら、秋になると別人のように強くなっていたそうです。
大学に入学した頃ついていけなかった練習についていけるようになり、日々の練習も楽しくなっていました。
箱根駅伝予選会ではチームトップになっています、そして入学当初は走れないと思っていた、箱根駅伝を1年生から走りことになりました。
大八木さんカッコよすぎですね、藤田さんの不調の原因を貧血ではないかと見抜いて、そして物凄い選手に育ててしまうのですから。
藤田さんが言ってるように本当に魔法をかけたようですね、無名だった高校生が大学有数の選手にまでなるのですから。
IFの話になっていまいますが、藤田さんが駒沢に入学して大八木さんに出会ってなかったら現在に藤田さんはいなかったかもしれないんですよね、人生って人との出会いが大切ですね。
もう一つIFの話を、東洋大学の酒井俊幸監督とは実家が近く幼馴染です、酒井監督も高校時代貧血気味だったので、もし酒井監督も駒沢大学に行き大八木監督の指導を受けていたら、現在の大学駅伝の構図は変わっていたかもしれないかなと夢想してしまいました。
2年生からエースの自覚が芽生えたそうです、箱根で2区を任された2年3年時は順天堂大学の三代直樹さんや東海大の諏訪利成さんと名勝負を演じています。
4年の最後の箱根直前に貧血の症状が出てしまったたので、過去2回走った2区を走る自信がなく、4区への配置換えを願い出て4区を走り区間賞を取りますが、チームの総合順位は2位という結果になっています。
今でもあの時2区を走っておけばと、大八木監督と話すことがあるそうで、藤田さんにとってかなりの心残りみたいなようです。
卒業目前の1999年3月初マラソンのびわ湖毎日を2時間10分07秒で走り2位になり、瀬古さんの持っていた日本学生記録を20年ぶりに更新し、世界陸上セビリア大会のマラソン代表になっています。
実は箱根駅伝直前に貧血になってしまったのは、3月の初マラソンに向けて練習をしていたせいなんです、レースに向けての練習や調整って難しいんですね。
箱根駅伝
1996年第72回大会 1区02位 1:03:32 駒沢12位
1997年第73回大会 2区07位 1:13:06 駒沢06位
1998年第74回大会 2区02位 1:08:12 駒沢02位
1999年第75回大会 4区01位 1:00:56 駒沢02位 区間新全国男子駅伝
1999年全国都道府県対抗駅伝 駒沢 7区03位 42:19 福島02位
富士通へ
大学卒業後は実業団の富士通へ入社。
かなりの数の企業から誘われていたそうですが富士通を選びました、理由は当時現役だった福島正さん(現富士通陸上競技部監督)の人柄や人間性に惹かれて富士通に決めたそうです。
1999年8月世界陸上セビリア大会男子マラソンで6位入賞。入社1年目の2000年1月1日ニューイヤー駅伝ではアンカー区間の7区を走り富士通の初優勝の貢献。
順風満帆に見えた藤田さんの競技人生でしたが、その後怪我に悩まされるようになります、2000年3月のびわ湖毎日マラソンではシドニーオリンピック代表選出に挑戦しようとしますが、故障により欠場しています。
2000年12月の福岡国際マラソンで、当時の日本最高記録2時間06分51秒を出し、3度目のマラソンで初優勝を飾っています。
この2時間06分51秒という記録は、2002年に高岡寿成(たかおかとしなり)さんがシカゴマラソンで2時間6分16秒を出すまで日本記録でした、2016年現在でも歴代2位の大記録です。
2001年8月世界陸上エドモントン大会男子マラソンは、レース前のアクシデントなどあり12位。
シドニー・アテネ・北京オリンピック出場を狙いますが、選考レースで結果を出せすに出場できませんでした。
2009年のニューイヤー駅伝で9年ぶり2度目の優勝に貢献しています。
2013年に現役引退し、富士通長距離コーチに就任。
駒沢大学のコーチに
2015年4月から母校駒沢大学のコーチに就任しています。
藤田さんが現役を引退した時に、大八木監督がコーチに誘い実現しました。
大八木さんと部員たちの年齢差が親父と子供ということなので、藤田さんに兄貴的な役割をしてもらいたくて声をかけたそうです。
大八木監督の狙い通り、藤田さん学生たちに色々なアドバイスをしたり、(飲むと)くだけた話から熱い話まで話したりする、兄貴分になっています。。
藤田さんまだ若く走れるので、ゲストランナーとして参加した2016年11月13日の世田谷246ハーフでは、青山学院大学のエースの一色恭志さんや田村和希さんたちを、追走してチェックしていたという話もあります。
結婚しているの?
調べてみましたが結婚したという話はありませんでしたので、藤田さん結婚していないと思います。
過去には彼女がいて、藤田さんとの目撃情報がありましたが、結婚しなかったようです。
妹が気になる。
藤田さんには妹が2人います。
一人の妹さんはお名前を藤田明日佳さんといい、ASUKA名義で歌手活動していて、藤田さんとは年齢10歳離れているようです。
現在も歌手活動をしているかわかりません。
2011年11月6日に、ロンドンオリンピックを目指すマラソン選手の兄「藤田敦史」への応援ソング、「一歩ずつ」を出しています。
もう一人の妹さんは何をしているかわかりませんでした。
まとめ
出身中学は郡山市立郡山第五中学校
運動はできなかったが中2の校内マラソン大会で3位になり、その後の駅伝大会で区間賞を獲ったことで陸上の道に進むことに
高校は福島県立清陵情報高等学校、全国高校駅伝やインターハイとは無縁だった
大学は駒沢大学経営学部
当時の大八木コーチに貧血を見抜かれ治療したら、強いランナーに変貌
4年連続箱根駅伝出場、4年4区では区間新記録を出している
大学4年の1999年3月初マラソンで当時の学生記録を20年ぶりに更新
卒業後は実業団の富士通へ
2000年・2009年のニューイヤー駅伝で優勝している
2000年12月福岡国際マラソンで、当時の日本最高記録2時間06分51秒を出し優勝
2時間06分51秒は2016年現在も日本歴代2位記録
2013年に現役引退
2015年母校駒沢大学のコーチに就任
結婚はしていない
妹が2人いて、一人はASUKA名義で歌手活動している
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コメント
コメント一覧 (2件)
出身中学校間違いです.
情報ありがとうございます、訂正しました。