西川周作(浦和レッズ)の経歴や成績と年俸推移が気になる!結婚した嫁と子供は?

浦和レッズとサッカー日本代表の堅守を支えるゴールキーパーは西川周作さん。

西川さん足元の技術のレベルが高くキックも高精度で至近距離のシュートへの反応の良いなど、Jリーグ屈指のゴールキーパーです。

サンフレッチェ広島に所属していたせいか、広島出身のように思われていますが実は大分トリニータユース出身なんです。

サッカー選手の場合出身チームを間違えられる方多いのですが大分トリニータユース出身の選手は特に間違えられることが多い気がします、現在は海外で活躍する清武弘嗣さんやFC東京の東慶悟さんや鹿島アントラーズの金崎夢生さんなんか、間違えられやすいですよね。

西川さんもそうですが、他クラブに移籍してワンクッションを置いてから、さらに移籍すると間違えられることが多くなりますね。

浦和レッズ所属で日本代表ゴールキーパーでもある、西川周作さんの、小学生時代から現在に至る経歴やJリーグでの成績・年俸推移と、結婚したお嫁さんと子供はいるのかを調べてみました。

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プロフィール(経歴)

西川 周作(にしかわ しゅうさく)
生年月日 1986年6月18日(30歳)
出身地 大分県宇佐市
身長 183cm
体重 81kg
血液型 AB
利き足 左
靴のサイズ 28.5
背番号 1

なぎさ幼稚園
宇佐市立四日市南小学校
宇佐市立駅川中学校
大分東明高校

宇佐FC Jrユース
大分トリニータU-15
大分トリニータU-18
大分トリニータ(2005-2009) 118試合
サンフレッチェ広島(2010-2013) 135試合
浦和レッズ(2014-) 102試合

日本代表 31試合

西川さんがサッカーを始めた明確な時期はわかりませんでしたが、幼稚園の頃には外に出てみんなでサッカーをしていたそうです。

西川さんのお父さん高校時代に野球をやっていたので、西川さんにも野球をやらせたかったみたいのですが、西川さんはサッカーを選びました。

想像ですが西川さん小学校の頃から体がかなり大きく運動量能力も高かったので、野球の道に進んでもかなりのところまで行ったのではないかと思います、サッカーを選んでくれてありがとうございますと言いたいです。

小学三年生の時に地元のサッカークラブに入りました、小学生の頃から身体が大きく、本人が言うには「動けるデブ」だったのでDFで使われることが多かったそうですが、全盛期の三浦知良さんに憧れていて点取り屋を目指してました。

ゴールキーパーに転向したのは小学校4年生の時で練習試合でGKが休んだので、身体の大きかった西川さんが監督にやってみろと指名されたそうです。

最初は飛ぶと痛いし、やりたくなくてFWに戻りたいと思っていたそうですが、ゴールを守りシュートを止めて感謝されたりしていくうちに、楽しくなって自分に向いていると思い受け入れました。

サッカーで攻撃的なポジションから守備的なポジションにコンバートされた選手は、最初はコンバートされたポジション嫌がる方が多いですね、そしてやっているうちに楽しくなってそのポジションに定着するパターンが多いと思います、西川さんも正にその王道でした。

中学時代

西川さん中1の時点で身長が170cmを超える大型選手でした。

地元にできたばかりの宇佐FCに入団、西川さんは三期生で同期は10人で年上が1人いるだけで、全員レギュラー状態だったそうです。

チームは弱く中1の頃は大会でライバルの大分トリニータU-15やカティオーラFCに大量点を取られて負けていました。

西川さんの特徴といえば、足元の技術やキックの精度の高さと至近距離のシュートへの反応の良さなどあります。

足元の技術やキックの精度などは、あたりまえですが最初っから上手だったわけではありません。

キックの練習を始めたのは、県大会でシュート性のバックパスに慌ててしまい、空振りして軸足に当たりそれがオウンゴールになってしまうという事があって、キックの練習をするようになっていったそうです。

大分ユースでは両足で蹴れないとプロではやっていけないと思い、利き足の左だけでなく、右足でも蹴れるように練習をして右足も強化して現在のレベルまで引き上げました。

自分に必要な事を考え練習して身に付けていく、努力家なんです。
中学時代はGKだけではなく、フィールドプレイヤーとしてもチームで一番上手かったので、ボランチなどのフィールドプレイヤーとしても試合の途中から出場することがあり、結構点も取っていたそうです。

中3の大会で中1の頃にボロ負けした、大分U-15引き分けカティオーラFCに勝利するまでに西川さんとチームは成長していました。

西川さんが宇佐FCで活躍することで、宇佐FCに大物GKがいるとい噂が広まり、長崎の国見、福岡の東海大五、東福岡、地元の柳浦高などの強豪校がスカウティングに訪れたそうです。

西川争奪戦が始まり、西川さんが選んだのはまだ実績もなかった大分トリニータユースでした。

当時のユース監督の皇甫官(ファンボ・カン)さんやコーチの吉坂さんに熱心に誘われ、

大分ユースに入れば高校卒業を待たなくてもプロ選手とプレーできる可能性があると言われ、プロでプレーすることを考えていた西川さんにはそれが魅力的で、大分ユースに決めたそうです。

大分ユース時代

宇佐FCで最後の大会を終えた後に、大分ジュニアユース(U-15)に中学3年の冬に転籍して、Jユースカップの大分ユースVS広島ユースのPK戦に途中出場しています。

広島ユースには後にチームメイトになる柏木陽介さん槙野智章さんなどがいました。
高校は大分東明高校に進学、大分ユースの練習場が実家から遠いために、親元を離れて大分ユースの寮生活をすることになりました。

大分ユースでは1年目からレギュラーを獲っています。荒削りでしたが、飲み込みが早くコーチのアドバイスを受けるとすぐ自分のものにしていたそうです。

さらに不思議なことに練習でしたシチュエーションが、実際に試合に起こることが続いたそうです、良い練習と良い経験をして順調に成長していきました。
大分ユース時代の西川さんFKでのゴールが有名です。

西川さんがFKを蹴るようになったのは、チームのキッカーを務めていた選手が怪我で離脱したりしてキッカーがいなくなり、練習で西川さんに蹴らしてみたら弾丸ライナーの良いキックをするので、公式戦でも蹴ることになりました。

西川さんの蹴る弾丸ライナーのシュートは、高校生レベルのGKではなかなか防げず、ユース時代は7点くらいは決めたそうです。
高校3年生になると普段はトップチームの練習に参加し、週末はユースの試合に出場していました。2種登録選手として選手登録されましたが、出場機会はなくリーグ戦1試合ベンチ入りしただけでした。

大分ユースを選んで大正解でしたね、高校生でトップチームの練習に参加できるのですから、西川さんが望んでいたことそのものじゃないですか、レベル高い人たちと一緒に練習していたら上手くなりますよね。

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プロ入り

2005年に大分トリニータのトップチームに昇格しています、シーズン途中からレギュラーを奪い21試合も出場しています。

2009年は西川さん初めてのリーグ戦全34試合に出場しましたが、チームはJ2に降格してしまいました。

債務超過の問題などがあり、西川選手はサンフレッチェ広島に移籍します、移籍に伴い移籍金7000万円が発生したので、育ててもらった大分に多少でも恩は返せたでしょうか。

2010年~2013までの4年間サンフレッチェ広島に在籍し、正ゴールキーパーとして2012年2013年の優勝に貢献。

2014年からは浦和レッズに移籍して、正ゴールキーパーとして浦和レッズの堅守の要になりました。

浦和移籍の1年目から、Jリーグ記録の7試合連続無失点に貢献、GKのJ1年間完封試合数の記録を16に塗り替え、自身初のJリーグフェアプレー個人賞を受賞したりと大活躍しています。

2016年8月6日2nd第7節湘南ベルマーレ戦と8月13日第8節名古屋グランパス戦で2試合連続のゴールキーパーによるアシストを記録しています。
2012年から2016年まで5年連続で、Jリーグベストイレブンに選ばれています。

西川さん恐ろしいのは初めてリーグ戦にフル出場した2009年以来2016年まで、2013年の広島時代に怪我で1試合欠場以外ほぼフル出場ということです。この時の欠場理由ってどんな怪我だったのか気になります。

8年間でリーグ戦たった1試合の欠場だけとは、それだけ怪我がなくカードも貰わないってかなり凄いことだと思います。ゴールキーパーって意外と怪我が多いポジションな気がするので、どれだけ身体のケアに気を使っているのでしょうか?これだけの稼働率を誇ると年俸8000万円も安いと感じてしまいます。

代表

2003年にU-18日本代表に初選出。

2006年アジアカップ最終予選、9月のサウジアラビア・イエメン戦でA代表初選出されますが出場機会はなし。

2008年北京オリンピック代表としてGL3試合に出場

2009年10月8日アジアカップ最終予選香港戦でA代表初出場、フル出場しました。

2010年ワールドカップ南アフリカ大会では、予備登録選手に選出されています。

2014年ワールドカップブラジル大会ではメンバーに選出されますが、出場機会はありませんでした。

2016年終了時点で国際Aマッチ31試合出場

ハリルホジッチ監督になってから日本代表のGKに定着しました。

成績

2004 大分(2種) J1 リーグ戦0試合 カップ戦0試合 天皇杯0試合
2005 大分 J1 リーグ戦21試合 カップ戦1試合 天皇杯2試合
2006 大分 J1 リーグ戦30試合 カップ戦5試合 天皇杯1試合
2007 大分 J1 リーグ戦11試合 カップ戦2試合 天皇杯2試合
2008 大分 J1 リーグ戦22試合 カップ戦5試合 天皇杯0試合
2009 大分 J1 リーグ戦34試合 カップ戦3試合 天皇杯1試合
2010 広島 J1 リーグ戦34試合 カップ戦4試合 天皇杯1試合 ACL5試合
2011 広島 J1 リーグ戦34試合 カップ戦1試合 天皇杯0試合
2012 広島 J1 リーグ戦34試合 カップ戦4試合 天皇杯0試合 クラブW杯3試合
2013 広島 J1 リーグ戦33試合 カップ戦1試合 天皇杯3試合 ACL5試合
2014 浦和 J1 リーグ戦34試合 カップ戦2試合 天皇杯2試合
2015 浦和 J1 リーグ戦34試合 カップ戦0試合 天皇杯3試合 ACL5試合
2016 浦和 J1 リーグ戦34試合 カップ戦1試合 天皇杯0試合 ACL8試合
通算 リーグ戦321試合 カップ戦29試合 天皇杯13試合 ACL23試合 クラブW杯3試合

年俸推移

大分トリニータ
2005年 600万円
2006年 900万円
2007年 1,500万円
2008年 1,600万円
2009年 2,300万円
サンフレッチェ広島
2010年 2,300万円
2011年 3,200万円
2012年 4,500万円
2013年 5,000万円
浦和レッズ
2014年 8,000万円
2015年 8,000万円
2016年 8,000万円(8,500万円)
2017年 (9,000万円)

()内の金額はサッカーダイジェスト版選手名鑑の推定年俸です。
*金額は推定です。

スポニチでは推定年俸1億円と報道されもしました、守備への貢献度とその稼働率を見ても1億円貰っていてもおかしくない選手です。

結婚した嫁や子供は?

西川さん21歳の2009年1月16日に婚姻届を出して結婚しています、お相手は4歳年上の福田亜美さん(家事手伝い)です。*年齢と職業は当時の

お二人は2008年1月に友人を交えての食事会で出会い交際に発展しました。2008年9月に西川さんが左膝後十字靭帯損傷の大怪我をした時には亜美さんが西川さんを支えてくれたそうです。

西川さんは代表合宿中だったので、亜美さんに電話で指示をして婚姻届を出してもらいました、付き合い始めた記念日にこだわったために、そういう形での提出になってしまったようです、本当はお二人で出したかったでしょうね。

子供は娘さんが二人います、年齢やお名前などはわかっていません。

西川さん過去の選手名鑑見ると、奥さんやお子さんや飼っている犬のことをすごく愛しています。

2014年の選手名鑑では、趣味欄にワンちゃんと泊まれる宿にいくこと、 好きな食べ物 奥さんの手料理 尊敬する人 奥さん!! 素晴らしい人!!と書かれていました。

なかなかこういうことって書けないと思います、結婚から5年経ってもこんなことを書くということは、結婚から8年経った2017年でもまだ熱々なんじゃないかと想像します。

まとめ

大分県宇佐市出身

小学校は宇佐市立四日市南小学校、

小学4年の時にゴールキーパーにコンバート

中学は宇佐市立駅川中学校、中1の時点で身長が170cmあった

高校は大分東明高校、九州のサッカー強豪高校から多数の誘いがあったが大分ユースを選ぶ

2005年大分トリニータのトップチームに昇格

2010年にサンフレッチェ広島に移籍、2011年2012年の優勝に貢献

2014年に浦和レッズに移籍

2009年から2016年の8年間でたった1試合しか欠場していない

日代表の正ゴールキーパー

2009年1月に4歳年上の女性と結婚、二人の娘さんがいる

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