瀬古利彦さんと言えば解説者としてマラソンや箱根駅伝などでよく見ました、根が正直なせいかついつい本音を言ってしまいひんしゅくを買うことも度々、実は解説からは想像もつかないほどのマラソンランナーとして日本トップレベルの成績を残している方なのです。
そんな瀬古利彦(せことしひこ)さんの経歴や現在何をしているのかや箱根駅伝の成績と、結婚したお嫁さんのことと4人兄弟の息子さん達の事などを調べました。
プロフィール(経歴)
瀬古 利彦(せこ としひこ)
生年月日 1956年07月15日(66歳)
出身地 三重県桑名市
身長 170cm
体重 62kg
血液型 O型自己ベスト
3000m 7分54秒9 (1979)
5000m 13分24秒29 (1985)
10000m 27分42秒17 (1986)
マラソン 2時間8分27秒 (1986)
中学時代は野球部で投手をしていて、将来的には甲子園を目指すつもりでいましたが、校内の大会で優勝してから陸上部に頼まれて陸上の大会に出るようになったら、市の陸上大会や県大会でも優勝してしまい、陸上競技に魅力を感じるようになったそうです。
校内の大会で優勝したことで瀬古さんの人生が決まったようなものですね、サボったり手を抜いていたら陸上の道に進まなかった可能性もあるんですよね、ちょっとしたことで人生が変わる人生って怖いですね・・・
高校は陸上の強豪校・四日市工業高校へ進学して本格的に陸上を始めます、高校時代の成績圧倒的でした。2年3年時にインターハイ800m1000mで2年連続2冠を達成したり、全国高校駅伝では3年連続花の1区をに出場し2年の時に区間賞を獲得などなど。
早稲田大学時代
瀬古さんただ陸上が早いだけの選手じゃなくて、人気も物凄くありいわゆる持っている選手でした。
大学は中央大学進学が有力だったのですが、早稲田大学の一般入試を受けて不合格になり他の大学に進まずに一浪することになり、南カリフォルニア大学に陸上留学しています。
1年後早稲田大学に入学して当時の早稲田大学の中村清さんと運命の出会いをしました。
瀬古さん高校時代の成績から、ほとんどの大学から勧誘が来ていて、誘われなかったのは東京大学と慶応大学だけだったと語っています。
瀬古さんが多数の加入の中から早稲田大学を選んだ理由は、両親に走れなくなった時を考えて大学を選びなさいと言われて、将来的な事を考えて早稲田大学を選んだそうです。
それにしても早稲田も誘ったのならなんとかして瀬古さん入学させてあげれば良かったと思うのですが・・・きっと大人の事情があるのでしょうね。まぁ、浪人時代の1年間があって自分は成長できたと言っていますので、結果オーライなんでしょう。
アメリカに留学時代は満足に練習も出来なくて、一番太った時は体重が68kgもあったそうです、早稲田に入ってからは中村監督の厳しい指導を受けてインカレ5000mで優勝しますがブランクを取り戻すのに1年かかったそうです、やはり練習できなかった時間と同じだけ時間が必要ってことなんですね。
箱根駅伝
箱根駅伝で4年連続花の2区を走っています、1年目は途中でバテて11位、2年目は11位でタスキを受けて9人抜いて2位でタスキを次につないでいます。
3年目と4年目は二年連続区間賞を獲得しに年連続区間新記録を樹立するということをしました。4年目は2区を走り終えるとそのまま伴奏のジープに飛び乗り話題になったそうです。
1979年第55回大会と1980年第56回大会での瀬古さんの人気がものすごくて瀬古フィーバーが起きたそうです。甲子園で定岡さんや荒木さんが大人気でフィーバーが起きたの知っていますが、箱根駅伝でもフィーバーなんて起きたことがあるんですね知りませんでした。
箱根駅伝
1977年第53回大会 2区11位 1:16:58 早大13位
1978年第54回大会 2区02位 1:13:54 早大06位
1979年第55回大会 2区01位 1:12:18 早大04位 区間新
1980年第56回大会 2区01位 1:11:37 早大03位 区間新
マラソン
瀬古さん大学時代から積極的にマラソンの大会に出ていて、1年生の箱根駅伝の1ヶ月後の京都マラソンでマラソンデビューしています、1978年2年生の時は箱根駅伝の1ヶ月前の福岡国際マラソンで優勝、1979年はボストンマラソン2位福岡国際連覇しています。
マラソン走った1ヶ月後に箱根駅伝で良い成績残すのですから、速さだけでなく丈夫さも持った物凄い選手だということがわかります、今じゃ考えられないスケジュールです。
1978 福岡国際マラソン 優勝
1979 福岡国際マラソン 優勝
1980 福岡国際マラソン 優勝
1981 ボストンマラソン 優勝
1983 東京国際マラソン 優勝
1983 福岡国際マラソン 優勝
1984 ロサンゼルスオリンピック マラソン日本代表
1986 ロンドンマラソン 優勝
1986 シカゴマラソン 優勝
1987 ボストンマラソン 優勝
1988 びわ湖毎日マラソン 優勝
1988 ソウルオリンピック マラソン日本代表
マラソン15回走って10回優勝という驚異の優勝率です、これほど強い選手はもう出てこないでしょう。
大学卒業後は、実業団のエスビー食品に入社し、1988年の第1回千葉国際駅伝を最後に現役を引退。
1989年エスビー食品陸上部監督に就任し1990年から1994年までの4年間早稲田大学競走部コーチを兼任、2006年エスビー食品陸上部監督を退任。
現在は?
2013年からDeNAランニングクラブ総監督になっています。
2016年11月02日日本陸連は2020年の東京オリンピックでのメダル獲得に向けて、長距離・マラソン強化戦略プロジェクト」を新設し、リーダーに瀬古さんが就任しました。
瀬古さんが強化方針の立案・決定などをして、大塚製薬の河野匡女子監督が現場との橋渡し役となります。
瀬古さんマラソンや駅伝の解説もやっていますが、つい本音が出てしまう解説が面白いんですよね。最近ではかなり本音は言わなくなってきましたが、たまにポロッと失言をしてしまうのがまたいいのです。
結婚した嫁
瀬古さん1984年のオリンピック後に結婚しています。
知人の紹介でお見合いを繰り返していて、お見合い6回目?にして当時25歳で幼稚園の先生をしていた旧姓・渡辺美恵さんに出会い、1984年11月6日に婚約発表しそして結婚しました。
記事と当時の新聞の写真、見出しの瀬古の花嫁ってあるのですが、流石スポーツ新聞ですこれは上手ですw 座布団10枚あげたいですね。当時の美恵さんの写真を見るとかなりキレイな人です。
瀬古さん常に心の支えとなり、全て捧げてくれた奥さんにメチャクチャ感謝しているそうです。
これからは自分で妻に歩み寄る番ということで、3年前から美恵さんと一緒に社交ダンスを習っています。
今年(2019年)美恵さん還暦なので、盛大なダンスパーティーを計画しているそうです。
息子4人
瀬古さん美恵さんとの間に、息子が4人います。
長男が昴(すばる)さん (30歳位)
二男が亜士武(あとむ)さん (29歳位)
三男が天哩(てんり)さん(26歳) 1992年06月28日生まれ
四男が聖醐(しょうご)さん (19歳位)
*年齢は2017年10月現在。
4兄弟の中で三男の天哩さんだけが大学まで陸上競技を続けていました。
東海大浦安高校時代に800mで高校総体に出場し、箱根駅伝を走りたくて東海大学に進学しますが、怪我の連続で駅伝主務に転向してチームを裏から支えました。
卒業後は一般企業に就職したようです、想像ですが駅伝主務としての活躍が評価されてかなり良い企業に入ったと思うのですが、どうなのでしょうか気になりますね。
亜士武(あとむ)さんが結婚!
二男の亜士武(あとむ)さんが、元中日ドラゴンズ200勝左腕山本昌さんの長女・裕里加さん(29歳)と結婚したとのビッグニュースが飛び込んできました。
お二人は日本のスポーツ用品メーカーに勤めていての社内結婚のようです。
日本長距離界のレジェンド瀬古利彦さんの息子さんと、プロ野球界のレジェンド投手山本昌さん娘さんの結婚凄いですね。気が早いですが、物凄い身体能力を持った子供が生まれそうですね!!
まとめ
中学時代は野球部、陸上の大会に駆り出されて優勝し陸上に目覚める
高校は四日市工業高校、中長距離で活躍
大学は1浪して早稲田大学に入学
箱根駅伝4年連続2区、3年4年時に2年連続区間賞と区間記録更新
大学時代からマラソンで活躍、福岡国際マラソン3連覇など、マラソン15戦で10勝
ロサンゼルスオリンピック、ソウルオリンピック、マラソン日本代表
卒業後はエスビー食品で活躍、1988年に現役引退
現在DeNAランニングクラブ総監督
1984年に渡辺美恵さんと結婚
子供は男の子が4人
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