中央大学や実業団のホンダで駅伝やマラソンなどで活躍した、藤原正和さんが2014年04月母校中央大学の陸上部駅伝監督に就任しました。
中央大学は箱根駅伝で最多14回の優勝に90回の出場を誇る名門大学ですが、個々最近20年優勝もなく4年連続でシード落ちするなど苦しんでいます。
駅伝強豪大学の再建を託された藤原監督でしたが、2016年の箱根駅伝予選会で11位となり本戦出場を逃していましました。
実業団に残る安定の道を捨て名門再建という茨の道を選んだ、中央大学駅伝監督の藤原正和(ふじわらまさかず)さんの経歴や出身中学と高校、結婚している嫁さんや子供の人数などを調べてみました。
プロフィール(経歴)
藤原 正和(ふじわら まさかず)
生年月日 1981年03月06日(41歳)
出身地 兵庫県神崎郡神河町
身長 167cm
体重 54kg自己ベスト
5000m 13分49秒33 (2004年)
10000m 28分17秒38(2000年)
マラソン 2時間08分12秒(2003年)
出身中学と高校は?
藤原さんの出身中学校は、神河町立大河内中学校です。
神河町立大河内中学校は2011年3月31日神崎中学校との統合により閉校していて現在はありません。
中学時代に陸上を始めすぐに結果を出しています、1995年全日本中学校陸上競技選手権大会の3000mに出場して2位になっています。
高校は高校駅伝の強豪校、兵庫県立西脇工業高等学校に進学しました、藤原さん物凄いことに 文武両道で高校の入試・卒業時とも1番の成績だったそうです!!
高校時代は故障に悩まされますが、1998年高校三年時丸亀インターハイ3000m障害2位、第49回全国高校駅伝で2区を区間4位で走り、2年連続7度目の全優勝に貢献。
中央大学に進学!
大学は中央大学文学部に進学ししています。
ちょっと調べたら中央大学文学部卒業や中退の人に凄い方々がいたので書きます。
映画「君の名は。」が超大ヒットしている 新海誠監督に、俳優の 長谷川博己さん、 きたろうさん、元サッカー日本代表の 中村憲剛さん。中退ですと、作詞家でAKBで有名な 秋元康さん、俳優山下真司さんなんかがいて凄い方々がいました。
中央大学時代は中心選手として、大学4年間の学生三大駅伝(出雲、全日本、箱根)の12回全てに出場し、
さらには大学3年時2001年ユニバーシアード北京大会ハーフマラソン優勝や、大学4年時2003年第58回びわ湖毎日マラソンで2時間08分12秒を出し日本人トップとなる3位に入り、初マラソン日本最高記録・マラソン日本学生最高記録保持者になっています。
大学時代の藤原さん輝かしい記録や成績を残していますが、藤原さんの大学入学時の目標は「4年間のうちに、たった一度でいいから箱根を走りたい」ということだったのです。
素晴らしい成績を残した選手が入学当初はこんな目標だったとは信じられませんよね。
大学1年目はキャプテンが作る練習メニューをこなしアドバイスを受けていれば強くなると信じて、迷うことなくただがむしゃらに走ったそうです。
そうしたら駅伝シーズンになる頃には、出雲駅伝で5区を走り区間新を出し、全日本では8区で7位から4位に押し上げる走りが出来るようになっていたそうです。
そして2000年第76回大会で山登りの5区を走って区間新を出しました、その後2年間5区を走り2位・3位、4年生の時はキャプテンとして念願のエース区間の2区を走り8人抜きで区間賞を出しています。
藤原さんが凄いのは陸上の成績だけではありません、大学でも成績が良く大学卒業式では総代も務めています。
箱根駅伝
2000年第76回大会 5区01位 1:11:36 中央03位 区間賞
2001年第77回大会 5区02位 1:13:51 中央03位
2002年第77回大会 5区03位 1:14:36 中央04位
2003年第78回大会 1区01位 1:07:31 中央05位 区間賞
実業団はHONDAに!
大学卒業後は、HONDA(本田技研工業株式会社)に入社。
世界陸上競技選手権大会男子マラソン3回日本代表に選ばれ(2度出場)、2010年東京マラソン優勝、ニューイヤー駅伝2004・05・08~14年9回出場などの成績を残しています。
ホンダ時代は、故障や体調不良に悩まされ続けました。
中央大学陸上部駅伝監督!
2016年4月に中央大学陸上部駅伝監督に就任しました。
リオデジャネイロオリンピックの男子マラソン代表を狙い、2016年3圧のびわ湖毎日マラソンに出場予定でしたが、疲労骨折のために現役引退を決意した、
そんな時に中央大学から監督就任の正式なオファーを受けました、監督就任の話は数年前からあったそうですが、藤原さんが引退するということなので大学側は急遽就任を打診したそうです。
藤原さん引退後は、ホンダに残りホンダの社員として働くか、ホンダ陸上部でコーチになることを考えていました、監督へのオファーに対して指導経験が全くないので伝統校の監督が務まるのか不安だったそうですが、近年低迷する母校の事が気になり監督を引き受けることにしました。
指導経験はありませんが、大学3年生の頃から自分だけでなくチームメイト個々の練習メニュー作りも担当していたそうですから、選手たちの練習を見ることは問題なさそうです。
後は指導力でしょうか、そこら辺は大学・実業団で経験を積んできたのでなんとかなるのではないかと思います。
監督として初めて臨んだ2016年10月15日の箱根駅伝の予選会で、中央大学は11位で予選落ちして88大会ぶりに箱根駅伝への出場を逃してしまい、中央大学の箱根駅伝への連続出場記録は87で途切れています。
2017年第93回箱根駅伝で藤原監督は、関東学生連合チームの関東をすることになりました、予選会落選最上位校の監督が指揮することが通例なので。
藤原さんが監督に就任して驚いたのが、中央大学の選手たちが、人としての部分が全く出来ていないことに驚いたそうです、それらを見て1年は腹をくくって住み込みで色々な所を変えていかないとこのチームは終わると終わると思ったとテレビで言っていました。
色々な話を聞くと、青山学院大学の原晋監督が、青学の監督を受けた時と状況が似ているなと思いました、原監督も選手の指導歴ありませんでしたし青学の選手たちの態度はもっと酷い状況だと聞きました。
原監督はそんな青学を5年で箱根駅伝出場に導き、4年目の時には関東学生連合チームの監督に選ばれています。
藤田さんは1年目に選ばれていますから、中央大学まだ地力はあります。ピンチはチャンスです、簡単なことではないでしょうが、この機に徹底的に改革をして中央大学を再び駅伝の強豪校に押し上げてください。
結婚した嫁と子供は?
藤原さん2005年に結婚して、2009年あたりに離婚したようです。
2011年に現在のお嫁さんの麻紀子さんと結婚をして、二人の娘さんをもうけています。
現在は藤原さん東京都日野市の寮での単身赴任のため、今は家族と離れ離れになり暮らしています。
妻の麻紀子さん、ホンダを辞めて中央大学の監督になることに反対しました、
「ホンダという大企業にそのまま残っていれば、普通に上に上がって行けるのにその安定をして冒険をする必要があるのか、あなたが行っても苦労するだけじゃないの」と言われたそうです。
麻紀子さんが言うこと最もなことだと思います、藤原さんも奥さんの言うこと痛いほどわかったと思いますが、低迷する母校が気になってしかなかったようで、なんとか家族を説得したみたいです。
ここで気になるのは藤原さんの中央大学での待遇です、青山学院大学の原晋監督みたいに嘱託職員契約なのか、大学職員としての契約なのかとか期限は決められているのかなど。
流石に家族がいる身ですからお金が必要ですので、ある程度安定した立場での契約だと思うのですが、どうなのでしょうかね気になります。
まとめ
出身中学校は、神河町立大河内中学校、現在は閉校している。
高校は高校駅伝の強豪校、兵庫県立西脇工業高等学校
文武両道で高校の入試・卒業時とも1番の成績
大学は中央大学文学部
大学時代は中心選手として、大学4年間の学生三大駅伝(出雲、全日本、箱根)全てに出場
2003年第58回びわ湖毎日マラソンで2時間08分12秒を出し、初マラソン日本最高記録・マラソン日本学生最高記録保持者
大学卒業はHONDA(本田技研工業株式会社)に入社、故障や体調不良に悩まされ続けた
2016年4月選手を引退し、母校中央大学陸上部駅伝監督に就任
2011年麻紀子さんと再婚して、二人の娘がいる。
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